倉橋の
にふれる時間旅行へ
いざないます
倉橋島にある2つのユニークな博物館、倉橋歴史民俗資料館と長門の造船歴史館を巡る旅に出ませんか。
倉橋島の歴史と文化、そして造船という日本の伝統技術を一度に体験できる、特別な時間をお楽しみください。
Museum
古代から現代に至るまでの船大工の技術と、日本を代表する木造船にまつわる倉橋の歴史を多くの復元模型と資料で、より深く知ることができます。
| 所在地 | 広島県呉市倉橋町字先前宮の浦川東171番地の7 |
|---|---|
| 営業時間 | 9:00~16:30(最終受付30分前) |
| 休館日 | 毎週月曜日(祝日の場合翌日)/年末年始 |
| 電話番号 | 0823-53-0016 |
|---|---|
| 入館料 |
大人200円
高校生120円 小中学生80円 |
倉橋島は古代から造船で栄え、飛鳥時代から平安時代にかけて遣唐使船も建造されたと伝わります。 失われた資料を基に復元された実物代の遣唐使船は、1989年の「海と島の博覧会」で展示されました。唐の技術と日本の伝統が融合した、当時の最先端技術の結晶であり、いにしえのロマンと高い技術を今に伝える貴重な展示物です。
毎年旧暦の6月17日に行われる安芸の宮島の管弦祭の主役である御座船は、代々倉橋島の熟練した船大工によって建造・修繕されてきました。倉橋は、御神体を乗せる神聖な船そのものを、信仰心と技術をもって生み出す役割を今なお担っています。
昭和30年代に、造られた石船の艫(船尾)の骨組みを復元したものです。
江戸時代の大型廻船で使われていた典型的な鉄碇で全長3.05m、素銅の太さは爪付近で84cm角、他は31cm角、重量80貫(300kg)あります。
鰯網漁に使用された親舟です。鰯網を引き上げる時などに中心となる船です。
大川廻船で使用されていた貴重品を入れるタンスで、密封性が強く、難破したときなどは浮くようになっています。
Museum
瀬戸内海の船の交通の要衝だった倉橋島の歴史と文化にまつわる品々を展示しています。 海底から引き上げられたナウマンゾウの化石や昔の遊びの貝合わせ、頼家の書などを展示しており、 島の暮らしや人々の営みについて学べます。
| 所在地 | 広島県呉市倉橋町字前宮の浦440番地 |
|---|---|
| 営業時間 | 9:00~16:30(最終受付30分前) |
| 休館日 | 毎週月曜日(祝日の場合翌日)/年末年始 |
| 電話番号 | 0823-53-2010 |
|---|---|
| 入館料 |
大人100円
高校生60円 小中学生40円 |
倉橋島は古くから造船業の盛んな島として全国に知られていましたが江戸時代になり国内の商工活動が盛んになるにつれて、中・四国地方はもとより、関西北陸方面から注文も多くなり、元禄・宝永年間(1688~1710)また、文化文政年間(1804~1829)は特に造船業が隆盛を極め、千石船(菱垣廻船・樽廻船・北前船)も多く建造されました。
この船は、その時代の千石船の約5分の1の模型です。
現代の船で例えれば約150t積の船になります。
多賀谷氏は、鎌倉時代に武蔵の国(現在の関東中心部)から伊予の地頭として移住し、南北朝時代には下蒲刈、倉橋島へと北上、それらの島々を領有しました。
倉橋多賀谷氏は、現在の倉橋町本浦地区の中央にある、標高約50m、倉橋湾を見下ろす丸子山に城を構え本拠としました。
この模型は多賀谷海賊(水軍)として瀬戸内海を蹂躙した倉橋多賀谷氏の本拠丸子山城の約150分の1の復元模型です。
この大般若経の経典は桂浜神社につたわったものです。この永和年間の経典はもともと周防国にありましたが大内氏から倉橋多賀谷氏に送られたと考えられています。
髙取焼とは、『髙取』という姓を黒田藩からいただいた者がつくる茶陶器です。
江戸時代の雛壇に飾られていたものです。
この扇面は、倉橋島の庄屋にのこされていたものです。江戸時代の濡官であった尾藤二洲と柴野栗山それに広島藩儒の頼杏坪の漢詩や和歌がのせられています。